バンドマン伊藤さんの見た世界
伊藤さんの昔話

僕のうんこ戦争

僕のうんこ戦争

 

どうも。伊藤さんです。

僕もいつの間にか30歳を超えてしまいました。

子供のころ夢見ていた「大人」という偶像に近づくために、

成長した結果30歳を超えてしまいました。

そして、このまま惰性で年齢を重ねていくのかと思うと、胸が震えてきます。

 

少年のころ描いた大人は現在の僕には何一つ備わっていないと、

現在の自分を見返したときに思ってしまいます。

それでも精いっぱい大人を演じ続けなければ、

この社会で生きていくことができません。

 

しかしながら、やはり老いの力にはかないません。

それは精神的な話だけではなくて、

体力的な問題にも如実に表れてきています。

 

っというのも、先日受けた健康診断で経過観察の結果をいただいてしまいました。

つまりはお前の体はもう昔ほどの若さはないのだから、

自重した生活を送れよ、

さもないととんでもないことになるぞ、

っという第一段階の脅しが降りかかってしまったのです。

 

いずれはこうなるだろうなと思って、

健康診断の3日前には間食をやめて、

いい状態の糞を捻りだせるように3日前にはキャベツをいっぱい食べて、

健康的な尿を採取するために3日前にはドクターペッパーではなくお水を飲み始めたのです。

それでもこの結果に終わってしまったのは残念です。

努力が報われなかったときほど人間は絶望を感じてしまうものですが、

まさしく僕の3日間の儚い努力は一笑に付され、

残ったのは絶望と胃の中のポリープだけというなんとも形容のしがたい現実が目の前につきつけられてしまいました。

 

この現実を突きつけられたらさすがに何かしらの対策をとらなければいけません。

毎日の食事に気を使い、適度な運動を行い、垂れ流す糞尿のチェックを行う。

 

あまりに衝撃を受けすぎたのか、

健康チェック用のグッズまで調べだす始末です。

 

 

 

やはり健康管理を行うためにはこれらのグッズを駆使してやることに意味があるのかもしれません。

 

 

僕は小学校の頃にも同じように毎日糞の観察をしていたことがありました。

 

 

その時は若さがあったので、

自分の体調を調べるために糞を調べていたわけではありません。

 

少し話が脱糞、いえいえ、脱線しますが、

夏休みの宿題の定番といえばみなさんは何が思いつきますか。

 

そうですね。

 

朝顔の観察ですよね。

 

当時の僕も朝顔の観察が宿題として出されたのです。

 

そしてそれと同時に自由研究なる宿題も出されたと思われます。

 

今の僕と違い当時の僕はやる気に満ち溢れていました。

 

しかしそのやる気に反して、

頭のほうはとても残念なぼっちゃんでした。

面白いテーマの自由研究を行いたいのに、

全くと言っていいほどテーマが思い浮かばなかったのです。

 

そこで僕は既存の宿題をもじってあることをひらめきました。

 

「朝顔の観察があるのだから、自分の糞を観察してみよう」

 

そこで僕は糞の観察を行うことにしました。

 

「今日はとても黒かった。まるでかりんとうのようだった」

「今日は臭いがすごかった。まるで犬のうんこだった」

「今日はトウモロコシがそのままでてきた。まるでシャキッとコーンだった」

 

毎日僕は観察を行いました。

僕の中で、なぜかこういう研究を行う人は、

比喩表現を使うものだと思っていました。

研究を行う人=頭のいいひとだから、

頭の悪い人に伝えるには頭の悪い人にも伝わるようにしなければならなかったのです。

糞を観察という僕の偉業を、

クラスメイトや先生が理解するはずもない。

そのため僕は熱心に比喩を織り交ぜながら、

捻りだした糞を上から下までなめるように観察し、

その思いを綴ったのです。

開始当初は少なかった情報も、

日々観察を続けることで詳細に記されていくようになりました。

 

「今日はダイヤモンドぐらい固く、太いうんこだったため、

肛門がとても痛かった。しかし頑張って出したことによる達成感によって、

うんこが本物のダイヤモンドのようにキラキラ輝いて見えた」

 

「すごい!今日は初めて14cm級のうんこがでた!

いつもは肛門カッターによって切れ切れになってしまうが、

今日は見事な一本糞だった」

 

途中から定規をつかって長さをはかることも覚え、

日々のうんこの長さも記していました。

 

この時の観察結果を、

僕はトイレのドアの大きめの壁掛けカレンダーに

綴っていました。

 

当然親には速攻で見つかります。

っというか、隠す気もさらさらなく、

むしろ僕の偉業をほめてほしいぐらいでした。

おそらく普通の親であれば子供の精神面や知能面で、

かなり心配され、中断させられることになると思います。

僕も自分の子供が毎日糞を観察して、

「今日は下痢だったから長さがはかれなかった……」

と、しょげながら報告されたら、いよいよもって病院に連れていくと思います。

 

しかしうちの親、特に父親は頭が僕以上におかしいため、

「お父さんのも計ってくれ」と言い出しました。

 

母親はまともだったので冷ややかな目で見ていたと思いますが、

触らぬ神に祟りなし状態なのか、何も言われませんでしたので、

僕の観察は公に行われておりました。

 

おそらく父親も今の僕と同じように糞の具合で健康管理をしたかったのだろうと思いますが、

僕は自分の糞の観察で忙しかったため、

糞観察におけるポイントをことこまかに説明した記憶があります。

 

そんなこんなで家族も見守る中、

僕はカレンダーにひたすら書き記していく中で事件が起きました。

 

当時のトイレにはその時一般家庭ではあまりお目にかかれなかった

ウォシュレットがついていました。

大人になった今、

雀のさえずりのごとく繊細な僕の肛門をケアするために多用しておりますが、

当時は体が小さく、うまくポイントにあたらなかったため、

使用はしておらず、「ビデ」ってなんだろうという具合に使用方法もいまいちよくしりませんでした。

 

そんなこんなで、その日も僕は納得のいく結果の糞を観察しようと、

トイレに手をかけました。

その時、誤ってウォシュレット起動のスイッチを押してしまったのです。

今では、重量感知などが当たり前に搭載されているため、

人が乗っていない状態では作動がしないようになっていると思いますが、

当時のウォシュレットにそんな高性能な機能はなく、

スイッチを押せば「ON」、停止ボタンを押せば「OFF」という

単純な操作しか行えませんでした。

 

そのため、誤って起動スイッチを押したがために、

勢いよく水が便器から吹き出ました。

 

その水は僕の顔面をまず襲いました。

口に少し水が入りながらも、

僕はびっくりしてウォシュレットから放たれる弾幕をよけました。

 

するとあろうことか、

その弾幕はドアに書けてあった、

僕の糞記録が施されたカレンダーに直撃したのです。

 

「あああああああ!!!!!!」

 

僕は叫びました。

しかし水の勢いは止まりません。

止め方が全くわからなかったので、

僕はなすすべなくただただその現状をみて叫ぶしかありませんでした。

「うんこが!!!僕のうんこがああああああ!!!!」

 

血も涙もないウォシュレットは、

僕が泣こうがわめこうが、

ただひたすらにカレンダーをぶち抜く冷酷な殺人鬼となっていました。

 

さながらドイツ侵攻時のノルマンディーのような

地獄の惨状をどう解決すればいいかわからずにいると、

母親が登場しました。

 

すかさず止められるウォシュレット。

水圧によりボロボロになったカレンダー。

泣き続ける僕。

なんでこんな子を産んでしまったのだろうという顔で僕を見る母親。

自分の子供がトイレで用を足していたと思ったら、

突然「うんこがああ!!」と叫びながら、

水を噴射させていたらいよいよ狂ったのだと思われても仕方がありません。

結局カレンダーはボロボロになり、

後に残るのは水びだしになったトイレの掃除という苦行だけとなってしまったのです。

こうして、僕のひと夏の糞観察生活はヒグラシの鳴き声と共に終わりを迎えてしまったのです。

 

 

努力が報われなかったときほど人間は絶望を感じてしまうものですが、

僕はこの時ほど、人生において報われないこともあるんだと感じたことはありませんでした。

 

しかしながら、この時の経験があったことで、

きっと僕の今後の糞観察による健康管理は間違いなく成功するでしょう。

 

報われない努力があったのならば、それを踏み台にして、

成功するまで新たな努力をすればいい。

 

経験を積むことで、僕がかつてみた大人の姿に近づいていくんだなと、

流れていく糞をみながら思いました。

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ABOUT ME
伊藤さん
伊藤さん
新星ポップロックバンド「uNica」のキーボード担当。 日夜、メンバーのやる気を引き出すために奮闘中。

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