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歌詞考察

YOASOBIの「夜に駆ける」の歌詞の意味を考察したらとても悲しい結末が判明した

YOASOBIの「夜に駆ける」の歌詞の意味を考察したらとても悲しい結末が判明した

 

YOASOBIの「夜に駆ける」という曲について

2020年の紅白歌合戦に出演するYOASOBI。

そんなYOASOBIの代表曲であり、紅白でも歌われる「夜に駆ける」は、2020年の「Billboard Japan Hot 100」年間首位を獲得している、まさに2020年を代表する曲といっても過言ではない作品である。

さて、そんなYOASOBIの夜に駆けるだが、巷ではこの曲の歌詞考察なんてしなくてもいいのではないかとささやかれている。

なぜならば、夜に駆けるには原作となる小説があるのだ。つまり、歌詞で描写している物語は、その小説を読めばわかるので、それ故に曲自体の歌詞を考察したところで結局得られる結末は一緒なのではないかということだ。そのためこの曲に関する考察は無意味である、無粋であると思われている。

しかしながら、その原作となる小説の考察であったり、その小説を曲にするあたり何を強調しているのか、逆に原作にはない表現方法だが曲では新しく表現されているものは何か、そういったところをポイントに見ていくと、衝撃な結末が見えたので、それらを中心にまとめたいと思う。

夜に駆ける

※あくまで僕の中での考察です。本記事のせいで当該曲のイメージが崩れる恐れもあるため、そういうことが心配な人はまずは自分の中で考察し、明確な自分の考えをもってから読み進めることをお勧めします。

 

YOASOBI「夜に駆ける」の原作小説「タナトスの誘惑」の意味を考察

YOASOBI「夜に駆ける」には原作となる小説がある。

それがこちらだ。

タナトスの誘惑

こちらは小説投稿サイト「monogatary.com」が開催した「モノコン2019」で賞を受賞している。こちらの小説、5分ほどで全てを読むことができるので、まだ読んでいない方は読んでみてほしい。

ざっくりとしたあらすじは、死神タナトスの誘惑により自殺願望のある「彼女」を助けようとする主人公の青年が、彼女に魅入られ、最終的に一緒に自殺してしまう、という物語である。この小説を一見すると、死という思いテーマの中でも最終的に彼女と主人公は一緒に自殺をして、最終的に結ばれるという、バッドエンドの中にあるハッピーエンドが描写されていることがわかると思う。

このように結果までが描写されている小説の考察をする必要があるのだろうか、と思う方もいるかもしれないが、この小説を別の視点で見ていくと、主人公はとことんバッドエンドであることがわかる。

それでは「夜に駆ける」の前にまずはこの小説の考察をしていきたいと思う。

ポイント1:「夜に駆ける」の原作小説「タナトスの誘惑」のタナトスとは?

タナトスの誘惑のタイトルにもなっている、タナトスとはそもそも何か?

もともとはギリシャ神話で出てくる死を象徴する神様のことであり、「死」そのものを神格化している。

また、心理学の世界でタナトスとは、ジークムント・フロイトが「死へ向かう欲動」と提唱している。

どちらも死に対する言葉であり、小説でもその2つの意味を主軸に物語が進んでいく。

そしてこの反対の言葉として「エロス」という言葉が表されている。

世の中には2種類の人間がいるという。

生に対する欲動──「エロス」に支配される人間と、

死に対する欲動──「タナトス」に支配される人間。

「タナトスの誘惑」より

原作小説でも描かれているが、エロスとは先ほどの心理学の世界で、同じようにジークムント・フロイトが「生の欲動」と提唱している。

また、エロスとはギリシャ神話では「愛の神」である。

 

つまりエロス=生=愛となっており、先ほど書いたタナトスの意味とは全く逆の意味でエロスは存在し、さらに「タナトス」と「エロス」は表裏一体の関係であることがわかると思う。

さて、「タナトスの誘惑」では小説のタイトル通り、「死の神」「死への欲動」であるタナトスという言葉を中心に物語が進んでいくことは簡単にわかると思う。自殺をテーマにしているこの小説は、死の象徴であるタナトスが全てを支配しているように思う。そのため、タナトスに対して「エロス」については上記の一説でしか表現がされていない。

しかしながら、先ほど書いたようにタナトスとエロスは表裏一体であるため、エロスもこの小説を読み解く上で非常に重要なポイントである。

まず、自殺を試みている「彼女」だが、そもそも主人公が助けに来なくとも、死神のいざない通りさっさと死ねばいいのだ。しかし、彼女は自殺をためらう。それはエロス、つまり「生への欲動」のせいというところも大いにある。死にたいけど死ねない、生に対して未練があるから、生きたいという欲望があるから。つまり生に未練があるから彼女は死に徹しきれない。

そこで登場したのが主人公である。主人公は彼女を愛することで自殺を止めようとする。それは彼女に対する愛による行動だが、彼女は振り向いてくれない。

結果的に主人公はいつまでたってもこちらに振り向いてくれない彼女や、自分自身の向上しない日常に嫌気がさし、「死=タナトス」を選んでしまう。

言わずもがな主人公が「死」を選ぶことが二人にとってのターニングポイントだ。タナトスとエロスは表裏一体である。主人公が死を選ぶことにより、死にたいと願う彼女とわかりあってしまうのだ。つまり意志が一つになることで本当の愛が表現されており、愛=エロスと表裏一体である死=タナトスを選んでしまうという流れになっている。

対して彼女も同様に、主人公が自分と同じ自死を選んでくれたこと、つまり自分の目指すべきものが共有できたことで愛されていることを知り、結果的に自殺してしまう。

原作では、自殺に対するキーが愛であり、二人がわかり合うことが最重要ポイントとして描かれている。

ではなぜ、彼女は死を戸惑っていたのだろうか。1つは生への欲動であるエロスが彼女の中に存在していたこと、もう1つは小説のタイトルでもある「タナトスの誘惑」がポイントとなるのではないだろうか。

1つ目のポイントは先ほど説明したように、「生への欲動=エロス」があることで自殺をためらっていたが、結果的に主人公の「愛=エロス」を知り自殺してしまう。これは、原作の大きなテーマである「タナトス」に対する「エロス」がうまく表現されていると思われる。

2つ目のポイントである「タナトスの誘惑」だが、彼女がためらうことで主人公の愛を増大させ、結果自殺に追い込むという点が、まさに「タナトスの誘惑」なのだと考える。

誰にも知らせずひとりで死んだほうが確実なのではないかと思うが、

もしかしたら彼女は、出会った時のように僕に自殺を止めてほしい、助けてほしいと心のどこかでそう思っているのではないかと、勝手に解釈していた。

「タナトスの誘惑」より

本来、ためらわずに彼女が死んでいれば主人公は死ななくてすんだのであろう。しかしながら、小説でも上記のように描かれているが、彼女は何回もためらっており、主人公はそれを助けてほしいという彼女のメッセージであると「勝手に解釈」している。この、勝手に解釈しているという部分が非常に重要な表現である。

本当は彼女は助けを求めていなかったのだ。主人公の愛を増大させることで、最終的には彼女の愛を手に入れるために自殺を選ぶ主人公を作り上げるために、彼女は何回も自殺を躊躇していたのだ。なぜそのようなことを彼女がしたのかというと、それこそがタナトスの誘惑であったのだと僕は考える。

このように、タナトスだけではなく、エロスも非常に重要なポイントであるのだ。

ポイント2:原作「タナトスの誘惑」はハッピーエンドなのか?

この小説、最後は主人公と彼女が同じように死を追うことで、本当の愛に芽生え一緒に自殺する、というように一見すると読み解くことができるが、何回か読み直すと全く別のエンディングが見えてくる。

それがわかる最も重要な部分がこちら。

死神は、それを見る者にとって1番魅力的に感じる姿をしているらしい。いわば、理想の人の姿をしているのだ。

彼女は死神を見つめている時(僕には虚空を見つめているようにしか見えないが)、まるで恋をしている女の子のような表情をした。まるでそれに惚れているような。

「タナトスの誘惑」より

死神というのは、その人にとって一番魅力的に感じる姿をしているようだ。そしてその死神を見ている彼女は恋をしているような表情をしていると表されている。

つまり、彼女にとっての死神=好きな人がいるのではないか。

もしかすると、彼女にとっての最愛の人は、もう既に死んでいて、その人のもとに向かうために彼女は死を選んだのではないだろうか。

主人公にとって、愛する人=彼女が死神だったように、彼女にとっての死神も愛する人であることは間違いないと考える。

つまり、彼女には自殺を考えるほどの想い人が存在しているのだ。

これを前提に考えると、原作のラストシーンで二人は手をつないで飛び降り自殺をするのだが、本当のところ彼女が愛する人は別にいるということだ。これは、死によって彼女の本当の愛を手に入れたと思い込んでいる主人公からすると、どうしようもない結果でしかないのだ。

結果的に主人公は彼女の愛を手に入れることもできなく、ただ、彼女と彼女が愛する人の二人の架け橋になったにすぎないのではないか。

 

タナトスの誘惑のまとめ

ポイント1つ目は、「死=タナトス」の表裏一体の関係性である「生(愛)=エロス」であることがわかった。そして2つ目のポイントで彼女は主人公とは全く別の想い人のために自殺していたことがわかった。

主人公視点でみると、彼女へのエロスにより自殺を選び、真の愛を知ったように見えるが、彼女視点で見ると、タナトスの誘惑によりなんの関係もない主人公を自殺に追い込み、さらに自分自身のエロスは全く別の想い人に向いていたのだ。

なんとも救いようのない話が原作小説では描かれているのだ。

さて、これを前提にすると、「夜に駆ける」の歌詞を更に楽しむことができるので、このポイントを主軸にYOASOBI「夜に駆ける」の歌詞を考察しよう。

YOASOBI「夜に駆ける」の歌詞の意味を考察する

長くなってしまったが、「タナトスの誘惑」の重要ポイントをもとにしながら夜に駆けるの歌詞を紐解いてみよう。

結論から言うと、原作ではわかりにくかった、「彼女には別の想い人がいて、主人公はただのバッドエンド」ということが如実に表されている。

本記事の冒頭でも書いたが、夜に駆けるの歌詞は、「小説で表現されていることをあえて残す」という部分と「小説にはないが、音楽で表現するためにYOASOBIが新しく表現した言葉」という部分に大別することができる。

それではこれらを念頭に歌詞の重要なポイントを見ていこう。

イントロ

沈むように溶けてゆくように

冒頭からマイナスイメージの言葉が連なる。

「沈む」も「溶ける」も生命活動においてはどちらもマイナスイメージの言葉にしかならない。

「沈む」には「恋に沈む」という意味合いが強く表現されている。そして、「溶ける」という言葉にも「恋に溶ける」という意味が含まれている。

生命活動の視点から見ると、「死の世界に沈む」「自分の体が溶ける」という意味合いでも捉えられるだろう。

つまり、冒頭からいきなりエロスとタナトスの表裏一体の関係性がうかがえる。この言葉を冒頭に置くことで、この曲で表したいことがバッドエンドであることが前面に押し出されているのだ。

また、この歌詞はラストの大サビでも使われている。一つの曲の中で全く同じ言葉が使われるということは、やはりこの言葉が夜に駆けるを表現するにあたり一番重要な言葉であるのだ。

さらに、この言い回しは原作小説である「タナトスの誘惑」には一切でてこない。つまり、YOASOBIが独自に考え表現したのかもしれないことを考えると、やはりこの詞は夜に駆けるを構成するにあたりポイントとなるワードなのだ。

※後日談のような位置づけである「夜に溶ける」では表現されている。

Bメロ

いつだってチックタックと
鳴る世界で何度だってさ
触れる心無い言葉うるさい声に
涙が零れそうでも
ありきたりな喜びきっと
二人なら見つけられる

本筋とはあまり関係ないのだが、このBメロの詞とメロディは本当によくできている。

特に「チックタック」という言葉が、メロディに非常によくマッチしており、躍動感がうまく表れている。この躍動感によって、なんの変哲もないつまらない人生がとてつもない早さで進んでいくことが表現されている。

また、「夜に駆ける」は全体的に主人公の願望、欲望が原作である「タナトスの誘惑」より如実に表されている。

原作では彼女のセリフなども描かれていたが、「夜に駆ける」では終始主人公視点の考えしか描写されていない。

このBメロでも「二人なら見つけられる」と主人公の願望が凝縮されている。

2番Aメロ

君にしか見えない
何かを見つめる君が嫌いだ
見惚れているかのような
恋するような
そんな顔が嫌いだ

ここの描写は原作小説でも全く同じ描写が映し出されている。

僕の考えた「彼女には別の想い人がいる」という結論を前提に考えると、ここの歌詞は夜に駆けるを構成するうえで非常に重要な部分となる。

重要であるがゆえに、2番Aメロをまるっと使って原作小説と同じことを表現しているのだ。

 

2番Bメロ

ほらまたチックタックと
鳴る世界で何度だってさ
君の為に用意した言葉どれも届かない
「終わりにしたい」だなんてさ
釣られて言葉にした時
君は初めて笑った

ここも忙しない主人公の日常が描かれている。ここの歌詞で最も重要なのは、そんな忙しない日常で彼女に振り向いてもらおうと努力するも、結果的に彼女は振り向いてくれないことを察する主人公が描写されていることである。

前述のように、彼女には別の想い人がいる。しかしながら、主人公は彼女に振り向いてもらおうと様々な言葉を投げかけるが、それが全て空振りに終わってしまい、ついには死ぬことを口ずさんでしまう。

2番サビ

騒がしい日々に笑えなくなっていた
僕の目に映る君は綺麗だ
明けない夜に溢れた涙も
君の笑顔に溶けていく

先ほどのBメロで彼女に届く言葉はないと悟った主人公であったが、自殺ということを共有することで、彼女がこっちに向いてくれたことが描写されている。

しかし、結局主人公の恋が実ることはないと悟ることで流した涙も彼女の笑顔に溶けてなくなる、つまり彼女にとっての愛を得ることはできなかったということがわかってしまう、ということがここでは表現されている。

結果的に主人公は彼女の愛を手に入れることができないのだ。

大サビ

忘れてしまいたくて閉じ込めた日々に
差し伸べてくれた君の手を取る
涼しい風が空を泳ぐように今吹き抜けていく
繋いだ手を離さないでよ

二人今、夜に駆け出していく

ここで最も重要な歌詞は、「繋いだ手を離さないでよ」である。

原作であるタナトスの誘惑のラストは「手を繋いだ君と僕。」という表現で終わっている。

原作の方では物理的に手をつないだ主人公と彼女が描写されているのだが、「繋いだ手を離さないでよ」は言い回しが主人公の願望でしかない。

恐らくこれは、原作では自殺の瞬間が表されており、夜に駆けるでは自殺後の世界が表されているのではないだろうか。

つまり、原作では主人公と彼女は手をつないで一緒に飛び降りたのだが、夜に駆けるでは自殺後の世界が表現されており、その中で主人公は「繋いだ手を離さないでよ」と彼女に懇願しているのだ。

ではなぜ主人公は彼女に懇願しているのか。それは、恐らく死後世界では彼女は主人公の手を離しているからである。

そもそも彼女は想い人が他にいるのだ。主人公の愛により、死という欲動を手に入れた彼女にとって、もはや主人公は必要のない存在なのである。そのため彼女は主人公の手を離し、すでに死んでいる想い人に向かって行ってしまうため、主人公は「手を離さないでよ」と懇願しているのだ。

そしてその後に続く「二人今、夜に駆け出していく 」という詞も重要だ。ここでいう二人は「主人公と彼女」という意味と、「彼女と彼女の想い人」という意味が含まれている。夜は「死」や「死後世界」のメタファーである。つまりここの詞は「主人公と彼女が一緒に自殺する」、という意味と、「彼女と彼女の想い人が二人で一緒に行ってしまう」という意味が表されているのだ。

まとめると、一緒に自殺したにも関わらず彼女は想い人と一緒に旅立ち、自分一人が取り残されてしまうということになる。

このラストは、歌の冒頭である「沈むように溶けていくように」の前置きが映えるクライマックスシーンであり、歌いだしから終わりまで全てにおいて「主人公の叶わぬ恋」が演じられている詞に仕上がっている。

「夜に駆ける」のタイトルに込められた意味

駆けるという単語が漢字で書かれているからわかりにくいが、「かける」の音にはいろいろな意味が込められていると思う。

「夜に駆ける」……夜=死の世界に駆ける。

「彼女が欠ける」……想い人のもとに逝ってしまうことで彼女が欠ける。

「手にかける」……彼女=タナトスが主人公を殺す。

「橋をかける」……彼女と想い人が死後世界でつながるよう架け橋となるため一緒に自殺した主人公。

このようにかけるには様々な意味が込められているが、あえて「駆ける」にしたのは、これらの本意をわかりにくくするためもあると思うが、恐らく原作小説のリスペクトで「駆ける」にしたのではないだろうか。

 

夜に駆けるの歌詞の意味のまとめ

原作があるから考察は必要ないのではないか、と言われている夜に駆けるだが、考察してみるとかなり深いメッセージが込められている。

一部では、愛に目覚めるための自殺が描写されているから、自殺が肯定されているのではないかと批判されているが、主人公は結果的に幸せになどなっていない。結局彼女を失ってしまうし、自分自身も取り返しのつかないことをしてしまっている。本記事で考察した意味をもとに曲が仕上がっていることを仮前提にすると、「タナトスの誘惑」も「夜に駆ける」も自殺なんて不毛でしかないことを表現しているのだ。

フロイトが提唱するように、「死の衝動」は誰にだってある。しかし、その衝動こそが「生きている証」であるため、死の衝動を保つためにも、現世の中で生を保つことが重要なる。

そんな大きなテーマをもった作品なのではないだろうか。

夜に駆ける

 

告知:ラジオで考察してみた

ラジオで夜に駆けるの考察をしましたので是非お聞きください。

 

ABOUT ME
イトーさん
とあるバンドのキーボード担当。 でも音楽は全くしていない。そんなバンドマン。

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