ヨルシカ「盗作」の歌詞をバンドマン視点で考察してみた
ヨルシカの「盗作」という曲について
大人気アーティストのヨルシカが2020年7月29日にニューアルバム「盗作」をリリース予定だ。待望の新作アルバムなのだが、そんな「盗作」に収録されている楽曲で同タイトルの「盗作」が、先日各ストリーミングサービスで配信された。
さらにYOUTUBEにもMVが公開されたのでまずはこちらで聴いてもらいたい。
早速「盗作」を聴いていたところ、やはりアルバムの表題曲なだけあり、奥が深く、心に刺さるような歌に仕上がっている。
特に、音楽をはじめとする何かしらの創作活動を行っている方々の心にダイレクトに響いたのではないだろうか。
僕自身も音楽活動を行っている者のはしくれなので、この歌の詞は他人事だとは思えないという感想を抱いた。
逆に言うと、創作活動をする人がぶち当たり続ける壁に、この曲の作詞作曲者であるn-bunaさん自身もぶち当たり、悩みながら曲を書いているんだということも推察できる。
つまり、この曲はn-bunaさん自身の苦悩が表現されている作品なのではないかと考えた。
そこで今回は、そんな創作者の苦悩を描く「盗作」の歌詞を解剖していきたいと思う。
※あくまで僕の中での考察です。本記事のせいで当該曲のイメージが崩れる恐れもあるため、そういうことが心配な人はまずは自分の中で考察し、明確な自分の考えをもってから読み進めることをお勧めします。
【Amazon.co.jp限定】盗作(通常盤)(特典:缶バッチ付)ヨルシカ「盗作」の歌詞の意味を考察するための前置き
今回の曲を考察するにあたり、重要なのは楽曲名でもあり、アルバム名にもなっている「盗作」という行為について考えなければならないので、手始めにその点を解剖していく。
ポイント1:「盗作」とは?
そもそも一般的な盗作とはどういう意味だろうか。
盗作……
他人の作品の全部または一部を、そのまま自分のものとして無断で使うこと。また、その作品。
引用:goo国語辞書
つまり、他人が作ったものをそのまま盗み、あたかも自身が作ったものとして世にだす行為が”盗作”だ。
もちろんこれは著作権侵害にあたるため、犯罪行為である。一聴すると、楽曲「盗作」の主人公はこの犯罪行為を犯しているようにも見えるのだが、今回のこの曲の本質でつかわれている盗作には別の意味が込められていると僕は考える。
ポイント2:アーティストにとっての「盗作」の意味は?
僕はこの記事を書く前に、同じくアルバム「盗作」に収録の「思想犯」という曲の考察を行っている。
こちらの記事の前置き部分でも少し書いているのだが、このアルバムの「盗作」という言葉に込められた意味は、本来の意味とは全く異なる意味で使用されていると推察する。
そもそも人が生活を営む中で、他人の作品に触れないということは不可能だ。
テレビを見たり、街中の広告を見たり、街頭に流れる音楽を聴いたり、様々な場所、時間で多くの作品達に意図せず出会うことは必至である。
もちろんこれは、芸術家たちも一緒で、生きているだけで強制的に他人の芸術作品に必ず触れてしまうのだ。
芸術家というものは、自分の経験や今まで培ってきたものをキャンバスに、あるいは譜面などに表現する。当然、技術的なことも駆使しながら表現するのだが、表現するにあたり土台にあるのは「自分が何を経験して何を思ったか」というものである。
しかしながら、先にも触れたように自分の経験の中には他者の芸術作品が必ず入り込んでしまう。つまり現在の自分を形成しているものの中に、他人の創作物が否応なく紛れ込んでしまうのだ。
そしてこれを前提にしてしまうと、自分の経験をまとめて表現したとして、その作品は完全なオリジナルといえるのかという問題が付きまとう。
もちろん、他人の芸術作品だけで形成されているわけではないので、表現された後は完全なオリジナルでしかないのだが、見方を変えると他人の創作物を少しずつ盗作しているとも言えるのではないだろうか。
僕は音楽をやっている中でこういった言葉を聞いたことがある。
「音楽の世界では、コード進行やメロディーのパターンは既に世に出尽くしていて、新しいものはもう生まれない」
つまり世に出ている音楽がすべてであり、これ以上オリジナリティにあふれたものは生まれないということだ。
世に新しく出てくる音楽は、出尽くしたコード進行やメロディーの組み合わせを変えることでオリジナリティがあるように見せかけているだけにすぎないのだ。
おそらく、楽曲「盗作」の主人公も自分だけのオリジナル作品とはなんぞや?という点で悩んでしまい、結果、「思想犯」になってしまったのではないかと思う。
この曲の詞を読み解くには、そういったオリジナルをもとめる芸術家の悩みを前提にしなければいけないと考える。
ポイント3:アルバム「盗作」に収録されている「思想犯」とのリンク
同じくアルバム「盗作」に収録されている「思想犯」という楽曲がある。
思想犯についても同じように考察したのだが、どういう曲かを端的に言うと「自分の音楽を完全なものに仕上げるために自分自身を殺す男の物語」である。
詳しくはこちらから
そして、今回考察する「盗作」の詞の中に、思想犯で出てきた表現が使われているので、「盗作」の主人公と「思想犯」の主人公は同一人物だと考える。
この点も「盗作」を考察するに重要なポイントであり、「盗作」を読み解くことでいかにして主人公が自死してしまうのかのヒントになっているのだ。
ヨルシカ「盗作」の歌詞を考察する
前置きにも書いたが、「盗作」の中で描かれている「盗む」という行為の意味は、真っ当に自分の曲を作っている主人公が苦悩している姿を表している。
それを念頭におき、「盗作」の歌詞を1番のAメロから順に考察していこう。
1番Aメロ
「音楽の切っ掛けは何だっけ。
父の持つレコードだったかな。
音を聞くことは気持ちが良い。
聞くだけなら努力もいらない。
「盗作」には主人公のセリフパートが散りばめられている。このセリフがだれに対しての言葉なのかもポイントの一つなのだが、恐らくこれは大衆に対して、主人公が過去を振り返っている言葉だと考える。
「思想犯」の考察で、主人公は自死を選んでいると述べたが、恐らくこの台詞パートは遺書のようなものだ。自分の死後に自分の作品を評価した人々に対して、自身がどのような考えで作品達を作り上げたかを語っている言葉なのだと考える。
さて、曲のはじまりは、主人公が音楽に初めて触れた時の感情を表現している。これを見ると、当初の主人公は純粋に音楽を楽しんでいたのだろう。
しかしながら、「聞くだけなら努力もいらない」と語られている通り、作り手側にまわった”今”の主人公からすると、ただ音楽を聴いているだけという行為がいかに心地よくて音楽を楽しめる時分なのかが表現されている。この台詞では、主人公が音楽を作り始めてかなりの年月が流れていることと、”今”の主人公は音楽と向き合ことに疲れているような印象を受ける。
前置きはいいから話そう。
ある時、思い付いたんだ。
この歌が僕の物になれば、この穴は埋まるだろうか。だから、僕は盗んだ」
ここから主人公が音楽を始めたきっかけと、どのように音楽を作っていったかが語られる。
「この歌が僕の物になれば、この穴は埋まるだろうか。」
主人公がもつ「穴」とは心の穴のことだろう。この後の詞にも心の穴を埋めようとする主人公が描かれているが、恐らくこの穴は、他人からの評価のことだろうと考える。
つまり、「この歌が僕のものになれば=自分もこの歌と同じようにいい曲を作れば」、「この穴は埋まるだろうか=他人からの評価を受けることができるだろうか」ということだ。
そして、「だから、僕は盗んだ」につながる。前置きでも書いたが、ここでいう”盗んだ”は、純粋に創作活動をやり始めたといっていいだろう。
しかしながら、その創作活動を長い年月行った”今”の主人公から見ると、「他人の芸術作品に触れている”僕”」が作った曲は、思い返すと盗作しているのと同義ではないか、という皮肉が込められているのだ。
ここで重要なのは、”音楽を作ろうと思ったきっかけが他者の音楽を聴いたから”ということだ。つまり、既に他人の作品に触れた状態で音楽を作り出しているのだ。”音楽”というものが何たるかということを理解し、それをもとに音楽を作っているので、異なる視点から見るとこれは盗作でしかないのだ。
1番サビ
嗚呼、まだ足りない。全部足りない。
何一つも満たされない。
このまま一人じゃあ僕は生きられない。
もっと知りたい。愛を知りたい。
この心を満たすくらい美しいものを知りたい。
ここで台詞パートがいったん終わる。つまり、過去を振り返る遺書ではなく、”今”の主人公がどう感じているかに焦点があてられる。
心の穴を埋めるために音楽を始めた主人公だが、何一つとして満たされない様子。他人の評価を得たくて始めた音楽創作だが、それが盗作前提だと気づいてしまったことで主人公が満たされない状態になっている。
「このまま一人じゃあ僕は生きられない。
もっと知りたい。愛を知りたい。」
他人の評価が欲しいから一人じゃ生きられない。そして他人からの愛=評価をひたすらに求める。
「この心を満たすくらい美しいものを知りたい。」
美しいという表現は「思想犯」でも表れている。これが、思想犯と盗作の主人公が同一人物である根拠だ。
そして、主人公が考える「美しいもの」とは何か。それは完全オリジナルの作品のことだと思うが、既に他の音楽に触れてしまった主人公では絶対に手に入らない。では主人公が目指す美しいものとは何か。それは思想犯で語られるのだが、死によって神格化する自分の作品達ということになる。(詳細は思想犯の考察を参照)
2番Aメロ
「ある時に、街を流れる歌が僕の曲だってことに気が付いた。
売れたなんて当たり前さ。
名作を盗んだものだからさぁ!
さて、また遺書パートに戻る。主人公が作る音楽が認められて街中に溢れる世界が語らている。おそらく自身の曲が売れた当初は相当うれしかったはず。
しかし、当時を振り返る”今”の主人公は、それを認めない。なぜなら、他の作品を盗作したから。
彼奴も馬鹿だ。こいつも馬鹿だ。
褒めちぎる奴等は皆馬鹿だ。
群がる烏合の衆、本当の価値なんてわからずに。
まぁ、それは僕も同じか」
完全オリジナルではない作品なのだから、そんな駄作を評価する人たちは一様にして馬鹿だとうたっている。
ここでいう本当の価値とは、完全なオリジナルの音楽のことだろう。しかしながら、そんな完全なオリジナルの音楽の価値なんてわからない。なぜなら主人公の曲は完全オリジナルではないから。
さらに、主人公自身が聞いた他者の音楽も、同様に完全オリジナルではないはず。その他者も、恐らくほかの人の音楽の影響を受けているはずだ。つまり完全オリジナルの価値がある音楽なんてものはそもそもこの世に存在していないのだから、主人公も含めその価値がわかる人間はこの世にいないという皮肉がうたわれているのだ。
2番サビ
嗚呼、何かが足りない。
これだけ盗んだのに少しも満たされない。
上面の言葉一つじゃ満たされない。
愛が知りたい。金が足りない。
この妬みを満たすくらい美しいものを知りたい。
“今”の自分の気持ちが表現されている。
どれだけ音楽を作ってきても、結局盗作であることには変わりがないから、他人からの評価は上面のものでしかないのだ。
後の歌詞で語られるが、この時、既に主人公の曲は飽きられている。そのため、愛=他人からの評価や、金が底をつきだしてしまっている。
「この妬みを満たすくらい美しいものを知りたい。」
盗作しか作れない主人公は、オリジナルの音楽を妬み、そしてオリジナルの音楽のように美しいものを作りたいと考えるようになる。
3番Aメロ
「音楽の切っ掛けが何なのか、今じゃもう忘れちまったが欲じゃないことは覚えてる。
何か綺麗なものだったな。
音楽のきっかけ=最初に聞いた父親のレコードを思い出そうとするも、世に蔓延る音楽がすべて盗作にしか聞こえない主人公は、最初に音楽を聴いた時の感動を忘れてしまった。
「何かきれいなものだったな」とうたっているあたり、人それぞれ初めて聞いた音楽が完全オリジナルの音楽だったといいたいのかもしれない。
化けの皮なんていつか剥がれる。
見向きもされない夜が来る。
その時に見られる景色が心底楽しみで。
自分の曲がいつか飽きられることを想像する主人公。この遺書が書かれているのは、恐らく”今”よりも少し前なのかもしれない。まだ自分自身の曲が売れているが、主人公は自分の曲が盗作以外の何物でもないと悟ったときにこの遺書を書いているとかんがえられる。そして、「思想犯」の考察で示したように、自分自身の曲が見向きもされなくなってから、自分の死によって、自分の作品を真のオリジナルにしようと考えだしているのだ。
Cメロ
そうだ。
何一つもなくなって、地位も愛も全部なくなって。
何もかも失った後に見える夜は本当に綺麗だろうから、本当に、本当に綺麗だろうから、僕は盗んだ」
今までAメロのみのセリフパート=遺書だったが、Cメロでも遺書が書かれている。
評価を一切受けなくなるであろう、未来の自分の作品。それは盗作をし続けたことで、音楽という移り変わりの激しい世界に飽きられることが予想されている。
「何もかも失った後に見える夜は本当に綺麗だろうから、本当に、本当に綺麗だろうから」
2回も同じ言葉で表現されているように、主人公にとってとても重要なことが表現されている。
ここでは自身の死をもって自分の作品を昇華させようとする主人公の計画が語られている。自分自身の盗作した作品が大衆から全く見向きもされなくなるが、自身の死によって、今後は主人公が作る新たな盗作曲は世に出ない。
つまり、主人公が盗作によって世に出した音楽は、主人公がいないと世に出てこない音楽であるがゆえに、実は主人公の完全なオリジナル音楽であると証明できるのではないか、ということを主人公は考えだすのだ。
証明しようとしているのだが……
僕は盗んだ
このフレーズには二つの意味が込められている。
一つは、死に行き着くまでに自分自身の盗作作品を作り続けること。つまり創作活動を引き続き行うことが表されている。
そしてもう一つは、自身の死をもってして作品を昇華させるという行為自体を盗むということである。
「思想犯」の考察時に、尾崎放哉がオマージュされていることを語った。この尾崎放哉は過去に実在した俳人なのだが、尾崎の死後に尾崎の作品は評価されることになる。
つまり、既に死によって作品が評価されるという行為も、実は他の誰かが歩んだ道筋であり、結果、音楽はすべて盗作でしかないという主人公の皮肉が込められているのだ。
大サビ
嗚呼、まだ足りない。もっと書きたい。
こんな詩じゃ満たされない。
君らの罵倒じゃあ僕は満たされない。
まだ知らない愛を書きたい。
この心を満たすくらい美しいものを知りたい。
自身の死によって完全な音楽に近づけさせることを思いついた主人公は、足りないものを満たすため、死に向かうため、盗作と知りながらもひたすらに音楽を書き続ける。
既に大衆から見向きもされなくなり、罵倒を浴びせられようが、歌を書き続ける。
むしろ、その罵倒すらも、死後の美しさを際立たせるためのスパイスであると考え、多くの罵倒を求めていたのかもしれない。
まだ足りない。まだ足りない。
まだ足りない。まだ足りない。
まだ足りない。僕は足りない。
ずっと足りないものがわからない。
まだ足りない。もっと知りたい。
この身体を溶かすくらい美しい夜を知りたい。
死に向かって、歌を書き続ける主人公。
「ずっと足りないものがわからない」は、自身が死んだ後では、本当に自分の求めた音楽になっているのかがわからないことが表現されている。
そして最後の「この身体を溶かすくらい美しい夜を知りたい」では、死が表現されている。本作中の夜という単語は死を表していると考える。つまり、死によって美しくなった自分自身の音楽を知りたいと主人公は望んでいるのだ。
そして、それはきっと自分の体が溶けるような美しさであると同時に、自分の体を溶かさないといけない=死によってしか知ることができない美しさなのだ。
ヨルシカ「盗作」の歌詞考察まとめ
アルバム「盗作」は、全編通して盗作を行う主人公がコンセプトのアルバムだ。その主人公が全曲通して同一の主人公なのかはわからないが、恐らく「思想犯」と「盗作」という二つの楽曲の主人公は同一人物だと考えられる。
何を生み出しても他者の模倣でしかないと悟ってしまった主人公。しかし模倣ではないことを、自分自身から生み出された音楽であることを証明するために自身を殺した主人公。大衆に盗作ではないことを思い知らせるために自分を殺し、思想犯になってしまう。
恐らく、作曲者であるn-bunaさんもこの曲の主人公のように、自身が世に出す音楽は盗作であることに悩んでいるのかもしれない。
しかしながら、盗作だろうが人々を魅了する曲を作り続けていることには違いなく、さらに盗作とはいったものの、ヨルシカにしか出せない色が施されている曲を作れるのはn-bunaさんしかいないのだ。
そんな思いがつづられており、創作家の泥臭い感情がむき出されているのが「盗作」という作品なのだ。
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告知1:「思想犯」の歌詞考察
思想犯も考察することで、より「盗作」の味がおいしくなるので、こちらもぜひご覧いただきたい。
告知2:ラジオでヨルシカ考察
僕がやっているYOUTUBEラジオでヨルシカ考察をしてみました。よろしければご視聴ください。
よくわからないやつらのよくわからないラジアオ
ヨルシカ「思想犯」ってなんだ!?
ヨルシカ「ただ君に晴れ」ってなんだ!?