巨乳によって浦安市の魅力に気づいた男
千葉県浦安市。
日本に住んでいる人であれば一度は聞いたことのある地名であろう。
浦安市と言えば日本有数のレジャーランドである“東京ディズニーリゾート“が存在する地域である。
多くの人は「千葉県なのに何故“東京“ディズニーリゾートなんだ?」と思うだろう。必然の疑問だと思う。そして多くの人が「千葉県の見栄で付けられたネーミングなのではないか?」と言う予想を立てるだろう。あながち間違ってはいないと思う。浦安市民の約8割ほどは自分を都民だと思い込みたい人である。その見栄の塊として“東京ディズニーリゾート“と呼ばせてしまったのかもしれない。しかしながらディズニーリゾートを東京と呼称させる理由もあると考える。
まず第一にディズニーのある千葉県浦安市は都心へのアクセスが抜群にいい。ディズニーリゾートの最寄駅である舞浜駅は、隣駅が葛西臨海公園である。つまり隣駅が東京都なのだ。しかも23区内。浦安から旧江戸川を越えれば簡単に東京の地を踏むことができる。なんなら東京駅までも20分程度で行くことができる。「ちょっと丸の内のOLでも見に行きたいな」と思ったらわずか20分足らずでその欲求を叶えることができるのだ。この時点で東京とうたっても差し支えはないであろう。
さらに千葉県は落花生、醤油、梨の生産数が全国トップらしい。きっと東京都民が食べている落花生や梨なんかは千葉県から出荷された物であるはずだ。「やっぱり千葉県の醤油は最高だなー」なんて唸っている都民もたくさん存在するのだ。ここまできたら東京とうたっても差し支えはないであろう。
そして極め付けに千葉県は交通事故の死亡者ランキングがワースト1位らしい。運転が荒いと言われている名古屋などを抜かしての1位なのである。つまり自らの命を顧みない肝の座った江戸っ子みたいな輩がいっぱいいるのであろう。もうほとんど東京とうたっても差し支えはないであろう。
このような理由から“千葉ディズニーリゾート“ではなく“東京ディズニーリゾート“と名乗ることにしたのだろうと僕は考える。
そんな有名なディズニーがあり、東京都民ぶりたい人達が住んでいる浦安が僕の地元だ。
幼少のころからこの地に20年以上は住んでいた。最早東京都民であると言っても過言ではない。
しかしながら独り立ちした僕はもう浦安には住んでいない。実家はまだ浦安に存在するので、たまに顔を出しに行くのだが、僕の中での浦安はいつの日か「帰る場所」ではなく「行く場所」になってしまったのだ。
久しぶりに浦安の地に降り立った僕は電車を降りてふとそんなことを考えてしまい、寂しい気持ちになってしまった。毎回、行くたびに変わっていく町の様相に驚いてしまう。
「あれ?ここにくっさい臭いをさせてたラーメン屋なかったっけ」
「おお……ついにコンボイも無くなってしまったか」
「パークスクエアは!?パークスクエアがない!」
そんな時の移ろいを目の当たりにすると、もう僕は浦安の住民ではなくなってしまったのだなと痛感してしまう。
「よう、久しぶり」
待ち合わせ場所で感傷に浸っていると昔ながらの友人である田中に声を掛けられた。
田中とは中学生の時に出会った。中学生なのにコンビニの前でうんこ座りをし、タバコを吸いながら缶ビールを飲んでいるようなやつだった。こう言う昔ながらのヤンキーを目にするのも浦安ではよくある光景だ。彼は今でも浦安に住み続けている。
「ボーッとしてないで早く店に行こうぜ」
20年以上たった今でも同じ銘柄のタバコを吸いながら田中は前を歩き出した。そんな様子を見ていたら、浦安市民であった懐かしい過去を思い出してしまう。
「鍛高譚を水割りで」
店について早々、田中はお酒を注文した。
「ここにきたら鍛高譚だよなー」
聞いてもいないのに田中が呟いた。
浦安に行く時は、ほとんど決まって田中と呑んでいる。
「そう言えば、浦安の魚市場がなくなるんだって?」
僕は、僕の知っている浦安の姿がまたなくなることを悲観し、田中に聞いた。お前の来る町ではもうないんだと言わんばかりに町の様子が変わってしまう現実に耐えきれなくなり、僕は田中にこの気持ちを吐露してしまった。
「まぁあまり人も入ってなかったしなー」
田中は地鳥の炭火焼を頬張りながら答えた。その話題は語り尽くされていると言わんばかりの気怠そうな返事だった。
「僕の知っている浦安がどんどん無くなっていくな……」
こんなことを言っても虚しく響くだけなのだが、やはり取り残されているという気持ちが拭いきれない。
「もう浦安のいいところなんてないんじゃないか」
「そうでもないぞ」
田中は即答した。
「浦安には色々な面があるじゃないか」
確かに浦安は同じ市内にも関わらず特色ある複数のエリアに分かれている。
言わずとしれたディズニーリゾートがある観光エリアであったり、団地や戸建て住宅が立ち並ぶエリアであったり、鉄鋼業が盛んな工業エリアであったり……
特に市内で一番特色のある地域は“元町エリア“と“新興住宅エリア“である。
元町エリアはその名の通り昔ながらの浦安の街並みを臨むことができる地域である。ここに住んでいる人の大部分は東西線の浦安駅を利用しているであろう。東西線と聞くだけで「ああ……東西線ね……」っと思ってしまうが、そんな路線が夢の国が君臨する浦安市には通っているのだ。
浦安市はその昔、漁業が盛んな町であった。埋め立てによる開発により、漁業はその幕を閉じるのだが、その当時漁村として栄えていた名残が現在も元町として残っている。元漁師の人達やその子供などが住んでいるので、それなりにディープな町が形成されており、下町感あふれるエリアだ。川崎市でいうところの溝口といったところだろう。
大して新市街エリアに入るとガラッと町の様相が変わる。タワーマンションが乱立し、道路は綺麗に整備されており、人工的な街並みと海が広がる。ディズニーがあり、都心にも近いという地を求めた成金達が住むエリアだ。ここに住むセレブママ達は通称「マリナーゼ」と呼ばれている。語尾に「~ザマス」とかつけてそうな人たちがこのエリアには住んでいる。川崎市で言うところの武蔵小杉といったところだろう。
これは余談なのだが、先の大震災によりここ浦安市も液状化現象というもので多数の被害があった。特に新市街エリアは比較的新しい埋立地エリアであったため、地盤が安定せずにその被害は甚大であった。結果、下水のインフラが壊れ、自宅の便所が使えないと行った事態に陥ってしまったのだ。
この状況、実は2019年の大型台風で甚大な被害を受けた武蔵小杉のタワマン住民の状況と酷似しているのだ。ムサコマダムといいマリナーゼといい、どうしてセレブは便事情から逃れることができないのだろうか。甚だ疑問である。
「確かに色々な面があって面白い町ではあるよな」
僕はマリナーゼの便事情を思い出しながら答えた。
「色々な面があって面白い町ではあるけど、結局のところ市外の人たちはディズニーしか見てないんじゃないか?」
そう、結局外の人から見たらディズニーなのだ。マリナーゼの便事情がいかに悲惨なものになろうが、ディズニー以下でも以上でもないのだ。
「まぁなー。でもそれだけディズニーがすごいってことだ。それは逆にこの市が誇れることなんじゃないか?」
田中のいう通りだ。よその町がディズニーを欲しても手に入れることはできないのだ。努力や経済事情でどうにかできるものでもない。そんなディズニーリゾートがあるこの町を誇れと田中は説いてきたのだ。
「俺はさ、普段浦安駅しか使わないんだよ」
田中は市内の旧市街地域に住んでいる。つまり東西線浦安駅ユーザーだ。
「浦安駅って飲み屋もいくつかあるから、やっぱり夜深くなると吐瀉物が散乱していたり、そこらへんでサラリーマンが寝ていたりするんだよな」
東西線のあるべき姿であると思い、僕はうなづいた。
「っでさ、この前たまたま舞浜駅を利用したんだけど……」
舞浜駅はディズニーリゾートの最寄り駅だ。こちらはJRが営んでいる。
「この駅は天国かって思ったね。周りを見るとさ、女の子ばっかりなんだよ。しかもさ、制服ディズニーっていうの?みんな短いスカートを履いてくるじゃん?現役女子高生だけでなく、女子大生まで制服で来たりするしさ。最高だったね」
二杯目の鍛高譚を飲みながら田中は語り出した。
「だいたいさ、世界広しといえどここまで制服を着た女子が来る駅なんてないんじゃないか?いや、そりゃあ、学校の最寄り駅だったら制服を着た女の子なんていくらでも見れるよ。でもさ、舞浜駅は違うんだよ。みんなプライベートで来てるから化粧もするし、ネズミの耳とかつけて浮かれちゃって、表情が輝いてるんだよな。校則に縛られていないからスカートなんてパンツを見せつけてるんですかってぐらいの短さになっていて、太ももが輝いてるんだよな」
田中は薄くなった頭を輝かせながら熱弁している。
「いやでもさ、舞浜駅が最寄りの僕から言わせると、これから会社に行って仕事をしなければならないという鬱々とした通勤の最中であんな浮かれ顔をされていたら少しイラッとくるよ」
「お前は心が狭いなー。そんな憂鬱な気分なんて、彼女達の笑顔と太ももを見ればどこふくかぜだよ。俺なんて通勤経路を舞浜駅経由に変えちまったよ」
僕の目の前にはあほがいた。そこまでして女子の太ももを拝みたいのか。いや、まぁ太ももは僕もおがみたいが……
饒舌に話す田中の目は頭皮の輝きも相まって一層煌めいて見えた。
「まぁ、発想の逆転だよ。ディズニーしかない浦安市だけど、逆にディズニーがある浦安市なんだ。日本中の女子高生、女子大生ホイホイがこの町にはあるんだよ」
何を言っているか理解はしたくなかったが、発想の逆転という言葉は心に刺さった。
「発想の逆転か……」
みんなが大好きなディズニー。浦安市の誇りであるディズニー。夢と魔法の国のディズニー。そんなディズニーがあるだけで浦安市はいいんだと、田中は説いた。
しかし、実のところ浦安市の象徴であるディズニーを僕はあまり好きではなかった。
ディズニーといえばカップルの聖地である。若い男女が思い出を作るために、皆こぞってディズニーに向かうのだ。田中の称した女子高生、女子大生ホイホイというのもあながち間違ってはいない。
そして、浦安市民であった僕も、例によって女の子とディズニーに行ったことがある。最初で最後のディズニーデートだった。
ーーーーーーーーーーーーーー
今日はどこまでも晴れ渡る空が広がっていた。
しかし僕の心は起きた時からずっと緊張していた。
今日は、僕の好きな美代子ちゃんとのディズニーデートだった。
大学に入って4ヶ月。
入学式で見た美代子ちゃんに僕は一目惚れした。
顔は特別美人とは言えないが、上京したての垢抜けない童顔から振りまかれる純粋な笑顔が本当に可愛かった。セミロングの艶々な黒の髪の毛もポイントが高かった。そして何より巨乳という点が僕の心と下半身をガッチリ掴んだ。
しかしながら彼女は学部が違ったがために、あまり多くの接点がなかった。あの巨乳、もとい彼女となんとしてでもお近づきになりたい。僕は日々彼女との接点を模索していた。
そして自分自身の努力と、周りの友達の協力により話す機会も増え、ついにディズニーデートまで漕ぎ着けたのである。
「私、ディズニーランドって小学生以来だから今日は凄く楽しみなんだ」
待ち合わせ場所で合流し、ディズニーランドに入園して早々彼女は楽しそうに言った。大学入学と同時に岡山県から上京してきた美代子ちゃん。小学生の頃に訪れたことがあるようだが、あの当時と今のディズニーでは変わった点がいくつもあるだろう。
「今日は色々と案内するからいっぱい楽しもうね」
ここは僕の地元の浦安である。ディズニーなんて幼少の頃から何度となく足を運んでいる。ディズニーのナビゲーターで僕以上の人間はいない。
この日を迎えるにあたり、僕は完璧なるデートプランを用意していた。アトラクションに乗るにしても、巡る順序次第ではあまり多くのアトラクションを楽しむことができない。昼食、夕食やパレードの時間なんかも考えなければならない。一重にディズニーデートと言っても、綿密な計画を立てなければ失敗に終わってしまうポイントがいくつも存在するのだ。
実のところ、初デートでディズニーというのはあまりお勧め出来ない。アトラクションの順序や時間配分を考えなければいけないというのはもちろんのこと、アトラクションの行列に並んでいる最中の盛り上げ方なども考えなければいけないのだ。初デートともなると、お互いがお互いのことをあまりよく知らないこともある。そのため行列の時間をやり過ごすだけの会話が続かないのだ。ディズニーにいる間の1/3は行列に並ぶ時間と言っても過言ではないため、この時間を有意義に過ごすことができなければ、結果、つまらない男と評されデートは失敗に終わってしまうのだ。
僕はこれまで失敗に終わる哀れな男を星の数ほど見てきた。先人の屍を越えて、必ず僕はこのデートを成功させなければならない。
そのため、待ち時間の楽しみ方も含め、かなり綿密にデートプランを練ってきた。まず初めに、プーさんのハニーハントのファストパスをとりに行かなければならない。プーさんは行列必至のアトラクションである。最悪の場合、3時間は待つこともあるほどの人気アトラクションだが、ファストパスを取得することでこの長い待ち時間を緩和することが出来る。きっと彼女もプーさんは好きなはずだ。女性はみなプーが好き。
「まず初めにプーさんのハニーハントのファストパスを取ろうと思うけどいいかな?」
僕は彼女に聞いてみた。
「え?プーさん好きなの?意外だねー」
予想とは異なる反応が返ってきた。
「いや……僕はそこまで好きじゃないけど、人気アトラクションだし取っといたほうがいいかなと思って」
「私、プーさんってそんなに好きでもないから、他のアトラクションのファストパスを取ろうよ!」
出だしからしくじってしまった。
プーさんの力なら全ての女性を楽しませることが出来る。そう思っていたのに、プーの力はこの子には及ばなかったらしい。プーを過信しすぎていた。確かに言ってしまえばだらだらしている太った熊だ。ディズニーのマスコットキャラクターだから許されているが、だらだらしていて太っている男なんて基本的にモテるわけがないのだ。しかし皆が好きだからという安直な考えでプーの力を過信してしまった。初っぱなから失敗である。
「まぁ、プーさんなんてただの太った熊だしね、ニートみたいなものだよな」
「あはは、面白いこと言うねー」
よし、フォローはバッチリだ。プーには可愛そうなレッテルを貼ってしまったが、僕の恋のためだ、致し方ない。
出だしこそしくじったが、その後は順調に人気アトラクションやパレードを見て楽しく過ごした。
僕らはお昼を食べて次のアトラクションに向かっていた。
「いたっ……!」
「どうしたの?」
「靴が合わなかったみたい……靴擦れしちゃった……」
そう。ディズニーは一日中パーク内を歩くことになる。ディズニーに行くというワクワクに乗じて新調した靴を履いていくと必ず靴擦れを起こしてしまうのだ。
「大丈夫?絆創膏持ってるよ」
しかし問題ない。こうなることは想定していた。靴擦れが起きても、ディズニーをもっと楽しめるようにと、ディズニーキャラクターが描かれている絆創膏を数日前に買っていたのだ。颯爽と取り出せば彼女の好感度をアップさせることができる。
早速鞄に忍ばせていた絆創膏を取り出したところで、僕は固まってしまった。
プーだ。プーが描かれている絆創膏が顔を出してきてしまった。箱ごと持っていくと嵩張るからと思い、中身だけ何枚か持ってきたのが災いとなってしまった。よく見ると他の絆創膏の絵柄もプーしかいない。
「ごめん、プーさんだけどこれ使って」
僕は震える手でプーさんの絆創膏を彼女に手渡した。
「やっぱりプーさん好きなんじゃん」
彼女は僕をからかった。
違う。違うんだ。空振りしてしまったが僕は君を喜ばせようと思っただけなんだ。
「ありがとうね、助かったよ」
プーさんの絵柄が描かれていようが役割は絆創膏なのだ。靴擦れの痛みさえなくなればそれでいいのだ。好感度は下がっていないはずだ。
「でもこれだけプーさんを推してくるとちょっと興味が湧いてくるね」
嫌な予感がした。
「プーさんのハニーハント乗ってみたくなっちゃった」
ジーザス。
このタイミングでそのアトラクションに挑むのは無謀だ。
プーさんのハニーハントのファストパスは人気ゆえに午前中で全て発券されてしまう。つまり、このタイミングで乗るためには、長い行列をひたすら並ばなければならないのだ。そして、昼休憩後のこの時間帯は、おそらく2時間以上並ぶことは確実である。2時間も並ぶことは想定していないため、事前に用意してきた会話のネタも無くなってしまう。しかしそんなことも言ってられない。
「え……プーさん乗るの?ま、まぁいいけど」
僕は彼女の要求を飲まざるを得なかった。
結局2時間半も並び、会話もしどろもどろになりながらなんとかプーさんの荒業を終えた。しかも乗った後の感想が「みんなこんなに時間かけてまでなんでプーさんに乗るんだろうね。不思議だなー」であった。明らかに楽しんでいなかった。残念で仕方がなかった。
プーさんのせいで大幅な予定変更となってしまったが、その後は特に目立ったアクシデントもなく、最後のパレードまでしっかりと楽しんだ。
いける……!この感じならいけるぞ!
途中、プーさんアクシデントはあったにしろ、全体的には及第点のはずだ。僕はそう思い、一日中ディズニーを楽しんだ帰り道で彼女に告白した。
「よかったら付き合ってくれない?」
告白の練習はここ何日かでみっちりシミュレーションし、デートの出来具合で3パターンの口説き文句を用意していた。にもかかわらず僕の口からは至ってシンプルな言葉しか出てこなかった。途方もなく緊張していたのだ。
しかしながら、緊張とは裏腹に断られることは想像していなかった。二人きりでのディズニーデートが承諾された時点で、脈はあると考えていたからだ。あとは当日、大きなヘマさえしなければ問題はないが、そこは地元であるが故のアドバンテージがある。結果、プーさんを除けば特に大きな問題もなく閉園の時間を迎えることができたので、この告白は通過儀礼のようなものであると思っていた。僕の人生において初めての告白という大舞台で頭は真っ白だったが、答えが分かっている試験を解いている気分であった。
「うーん……」
彼女は白々しく考える素振りを見せ、答えた。
「いいよ、これから彼氏彼女と言うことでよろしくね」
僕は巨乳を手中におさめた。
思えば長い一日であった。最初はどうなることかと思ったが、ようやくゴールまでたどり着いたのだ。
僕は朝からの出来事を反芻し安堵のため息を大きく吐いた。いくら答えが分かっていても、やはり万が一の可能性が残されていた。プーさん好きと言うことで嫌われる可能性もあったかもしれない。しかしそんなことはどうやら杞憂だったようだ。これからは彼氏彼女と言う絆で、楽しい思い出を作っていこう。プーさんのいいところももっと知ってもらおう。感無量の想いでいっぱいになった。
彼氏彼女になったからには、いつしかその巨乳を揉みしだく日もくるだろう。二つのスペースマウンテンを揉みしだきながら、僕のビッグサンダーマウンテンが彼女のジャングルクルーズに突入しスプラッシュマウンテンする日も近い。
そんな妄想をしていると、彼女は続けてこう言った。
「今、彼氏がいるから別れたら報告するね」
ん?彼氏がいる?当然のように言葉を発しているが、彼氏がいるなんて僕は知らなかった。
「え……彼氏いるの?」
僕は至極当然な質問をした。学校では彼氏がいる素振りなんて微塵も見せていなかった。周りの友達にヒアリングまでしたが、フリーだということは確認済みであった。
「彼氏……いるの?」
青天の霹靂だったために、僕は狼狽えて2回も聞いてしまった。
「……黙っててごめんね。実は社会人の彼氏がいるんだ」
しかも社会人の彼氏らしい。彼女から発せられる全ての言葉に衝撃を受ける。
「でも今日のデート、とても楽しかったよ!彼氏とは最近あまりいい思い出がないからさ、別れて君と付き合うよ」
いや、何かがおかしい。彼女は平然と言っているが、「うん、じゃあ別れたら教えてね」と何事もなく許容する人間がいるのだろうか。
混乱しつつも整理すると、彼女は彼氏がいるにも関わらず僕とサシでのデートに乗ってきたのだ。そこで品定めをして、問題なければ乗り換えると言う寸法だったのだろう。つまり保険をかけながらのデートだったのだ。僕が必死に彼女とお近づきになろうと努力していた時も、最高のディズニーデートにするため綿密な計画を考えている時も、どこぞの社会人にその巨乳を揉みしだかれていたのだ。
こう言うことを平然とやってのける女は、今後も同じようなことをするに違いない。このまま付き合ったら僕もいつか、掛け捨て保険化するに違いない。
……しかし僕なら大丈夫かもしれない。彼女につまらない想いをさせないことが僕ならできると思う。
根拠はないが恐らく大丈夫。たぶん。
でもやっぱり難しいかも……僕も捨てられるかも……
いやいやいや、でも巨乳は揉みたいし、なんならつまみたいし……
突然のカミングアウトに僕の頭は大混乱した。
どうすべきかよくわからないが、早く結論を出さなければいけない。
そして僕は決断した。
「ごめん。彼氏がいるなら彼氏を大事にしないと……」
断ることを決断した。
「え……?何言ってるの……?」
彼女は狐に摘まれたような顔をしていた。それもそのはずだ。自分のことが好きでたまらないはずだから告白してきた男がまさかのUターンをぶちかましたのだ。彼女にとって、彼氏がいることなんて些末なことなのだろう。トカゲのしっぽみたいなもので、切りたいときに切ることができる存在なのだ。だから彼氏がいることをカミングアウトしたし、カミングアウトしたからといって断られるとはこれっぽっちも思っていなかったのだろう。
「付き合わないの?」
「大丈夫、僕は気にしないから彼氏を大事にしてあげて」
それでも僕はもう決めてしまったのだ。彼女とは付き合えない。しっかりと断らなければ。
すると突然彼女が豹変した。
「ちょ……何勝手なこといってんのよ!そっちから告白しといてまるで私がふられたみたいじゃない!」
第二形態突入である。
確かに僕にも悪い点はある。入学式以来ずっと彼女のことを想い続けていたのだ。そしてその気持ちは彼女も薄々感づいてはいたであろう。そもそも二人きりのディズニーデートに誘っているのだ。俺はこれから告白するぞ!と宣言しているようなものである。そんな人から断られたのだからその怒りもごもっともである。
しかし無理なものは無理なんだ。第二形態に変身しようが、あと2回の変身を残していようが、彼女とは付き合えない。それが僕の出した答えだ。
「あんたわかってるの?彼氏がいるなんてよくあることだし、それを捨ててまであんたとくっつこうとしてるんだよ?その気持ちを汲みなさないよ!」
突然彼氏の存在をカミングアウトされた僕の気持ちも汲んでほしいものだと思った。
「いいからあんたは私と付き合うのよ!」
確かに、このまま付き合ってもいいのかもしれない。それもそれで経験だ。ここまで好いていた人なのだから、やはりまだ未練がある。
しかしこの状況で「じゃあ付き合うか」なんて言って二人で楽しく過ごせる未来を想像できない。恐らく三日後には別れている。
彼女は自慢の巨乳をぶるんぶるんさせながら憤慨している。
僕は悩んだ。一度は断ろうかと思ったが、ぶるんぶるんしている巨乳をみると心がぐらついてきた。やはり付き合うべきなのか……それとも身を引くべきなのか……
「どうすんのよ!はっきりしなさいよ!」
焦らせないでくれ……いま……今結論を出すから!
「……やっぱり付き合えないプー」
ショックと混乱により、なぜかプーさん口調になってしまった。
「なっ……!」
彼女は絶句した。
「だって彼氏がいるんでしょ?そっちを大事にしてほしいプー」
混乱しすぎた結果、僕は彼女があまり好きではないプーさんになりきることにした。これで彼女もスッパリあきらめるはずだ。
「……この豚野郎!もういい!じゃあね!」
彼女は捨て台詞をはいてその場から去ろうとした。
「豚じゃなくて熊だプー」
「プーさんはそんな口調じゃないわよ!バーカ!」
ご明察のとおりである。プーさんのことがあまり好きではない割に、口調までは知っていたようだ。
こうして、彼女は僕を置いて去っていった。
一度は手中におさめかけた巨乳だったが、そのあまりの大きさにあっけなく零れ落ちてしまった。
これでよかったのだ。男女関係の経験値で勝るあの子と付き合っても、辛い思いをするだけさ……
そう自分に言い聞かせ、帰り道を歩いていたら、あまりに茫然としすぎていたせいか僕はつまずいて転んだ。
膝に血が滲んだ。
僕は持っていたプーさんの絆創膏を傷に貼った。
まるでプーさんが僕を慰めてくれたようで、少しだけ温かい気持ちになった。
僕にはやはりプーしかいない。そう思い家路を急いだ。
ーーーーーーーーーーーーーー
目の前には三杯目の鍛高譚を飲み干そうとしている田中がいた。
あの日、彼女と別れてから一度も彼女とは連絡を取っていなかった。あの後、大学内で「へたれのプー」という不名誉なのか名誉なのかよくわからないあだ名がつけられたが過ぎ去りし過去の話だ。今は彼女がどこでどうしているのかもわからない。
今にして思うと、あの状況で付き合わない選択をした僕はあだ名のとおりヘタレだったのだろう。初めて見る素の女という生物に戸惑いを隠せなかったのだろう。彼氏がいる女の子を奪うことなんて、この世界では割とよくあることなのだ。略奪愛がなければ気に入った女の子と付き合う術がなくなってしまう。大人になった僕ならば、「どうぞどうぞ、さっさと別れて僕のところにおいで、その巨乳を早く揉ませてくれプー」とペロリと受け入れるところだが、あの日の僕は未熟だったのだ。未熟であるがゆえにとてつもなく大きな大人の壁に押しつぶされてしまったのだ。
「そう、発想の逆転が必要なんだよ。俺は変態でもなんでもなく、ただただ太ももが好きなだけなんだよ。そしてたまたま俺好みの太ももがくっついているのが女子高生ってだけなのさ」
酔っ払っているのか、田中が壊れたラジオの如く女子高生の太もも事情を語っていた。しかし僕の耳には一切入ってこなかった。
ディズニーといえば、仲良しカップルが思い出を作る場所である。しかしながら見方を変えると色々な人がいるのではないだろうか。僕みたいに恋に花を咲かせることなく終わってしまう男女も多く存在するだろうし、実っている恋が散ってしまうカップルも存在するだろう。緊張している男がいたら、これから告白しようとしているのかもしれない。楽しそうにしている親子も、実は離婚していて、月に一回の子供との面会日をディズニーで楽しんでいるだけなのかもしれない。幸せな夢だけではなく、儚い夢や実ることのない夢なども全て引っくるめて、夢の国ディズニーリゾートなのかもしれない。
もしかすると、名前に“東京“がつくのも、どうあがいても都民にはなれない千葉県民の夢なのかもしれない。
ただのレジャー施設ではなく、様々な人の想いを垣間見ることができる場所がディズニーなのだとこの時気付いた。そしてその場所が存在する浦安市もまた、様々な人が行き交う場所であり、実に人間らしい人達がこの浦安市を訪れていたのだ。浦安を訪れるたびに町の様相が変わるのも、そんな人間が織りなす人生の一部であって、致し方ないことなのかもしれない。それが浦安市のあるべき姿であり魅力なのだと僕は気付かされた。
夢を持って浦安を訪れる人もいれば、鍛高譚を飲みながら女子高生の太ももの話をする奴もいれば、巨乳に目が眩んで恋を散らす奴もいる。
そんな人たちを一様に許容しているのが浦安市なんだと考え直したら、昔のように浦安市を好きになれた気がした。